嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え

人は成長して勇気を持つ

 先日、岸見 一郎氏/古賀 史健氏 著の2013年刊行の「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」を読みました。フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の一人であるアドラーの考え方についてわかりやすく説明しています。

 中学生から高校生の思春期に読んでほしい書籍だと思いました。わたしが中学生から高校生の間に読んでいたら目からウロコだったと思います。
 書籍を読んでわたしは「不幸自慢はよくない」「普通であることの勇気」の2点が心に残りました。
 自分の不幸が言動によって相手を支配しかねないと記載されていて、確かにその通りだと思いました。不幸や弱者が権力となりうる最たる例が赤ん坊だと記載されています。何もできないはずの赤ん坊に大人が翻弄されてしまうのです。わたしも他人に不幸自慢はしないように自然と気を付けています。一種の空気を読むことだと思いました。わたしはその理由を聞いた相手が返答に困り、結果楽しい時間の共有が減るからだと思っていましたが、”支配を受ける”という表現もまた的を得ているように思いました。ただ、不幸の度合いがとんでもない不幸が起きた場合に、その不幸はどのように相手を支配するのか気になりました。果たして、その不幸は自分自身だけで抱えていけるものなのでしょうか?
 「普通であることの勇気」とは優劣コンプレックスの克服となります。わたし自身、子供から思春期にかけて優劣についてコンプレックスを抱えていました。できるだけ優勢であろうと心がけましたし、社会に入っても、少なくとも給与は相対的評価の部分があるため優劣がついてまわります。ただし、優劣とは別に自分自身の気持ちはコントロールできるということを学ばなければいけません。高校・大学と克服したつもりであっても、会社に入った頃の優劣に振り回された思い出が蘇ります。蘇って思ったんですが、どちらかというと周囲の優劣コンプレックスに振り回されていたのかもしれませんが・・・
 まとめとして、嫌われる勇気とともに自分自身のあらゆる側面を受け入れる勇気をもつことが重要であるという点は同意できると思います。一方で、すべての他者的要因を受け手側で全てコントロールすることは、達観しすぎてさすがに仙人の領域であろうと思いました。

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